僕は昭和37年7月に竣工したビル。

戦後経済復興のシンボルのように、
堂々と一等地に建てて貰い僕は誇らしかった。

昭和50年、60年、平成に年号が変わってもみんなが僕のビルを利用してくれた。
近くには大きなデパートもあり、僕はみんながワクワクした姿を見ることが出来てとても嬉しかった。

でも、遂に僕は寿命をむかえた。
平成28年3月末で閉館。
僕は解体されることになった。

僕を大切にしてくれたテナント入居者のみんなが、
「出て行きたくない!」「解体ギリギリまでいさせて欲しい」と、涙ながらに訴えたが、
頑として受け入れて貰えなく、みんなは立ち退きを余儀なくされた。

みんなとの別れは寂しいが、
これも時代の流れだと思い、僕は解体される日を待った。

ところが、解体されるはずの僕のビルで何やら内装工事が始まった。
外には立派な花束が並び、電気がこうこうとして。
何が起こるのか僕は検討がつかなかった。

そしてある日、僕は知った。
創生する会社が使うことになったのだ。

それに伴い、立ち退いた蕎麦屋さんの跡地には韓国料理屋さんが。
気さくな店主がいた定食屋さんの隣に、チェーン店のカレー屋さんが。
ドラッグストアは、ガラス雑貨屋に、また、他もネイルサロンに。
それぞれ開業し、様変わりした。

そして、僕の名前の入った看板が外されて、
入ってきた新しい会社の看板が取り付けられた。

僕は泣いた。
自分が自分で無くなることに。
何十年もともにした仲間の痕跡があまりにあっけなく粉々にされたことに。
何故解体ギリギリまで、彼らを居させてあげられなかったのか。
何故そこの会社だけは許されたのか。

僕のことは日経新聞で度々取り上げられている。
どうやら、僕のビルには牛やヤギなど動物達もやって来るようだ。

いずれ僕は本格的に解体される。
そして新たなビルとなり生まれ変わるが、僕として生まれ変わることが果たして出来るのだろうか?

創生をうたっているあの会社の新しいビルとなり、
僕の名前はもう名乗って貰えないかもしれない。
苦楽を共にした以前の仲間も入居費用が高くて入れないだろう。

でも、僕を知っている人はたくさんいる。
新しいビルがどの様になって行くのか見届けて欲しい。
そして警鐘を鳴らして欲しい。