2014年、8/10に札幌市厚別区でパラオ共和国の独立20周年と、日本との国交20周年を記念した「パラオ展」が開かれました。
パラオは昔から親日なのですが、残念なことに日本人でそのことを知っている方は少ないようです。
それに対してパラオの方々は、私たち日本人が少し驚く「日本からの影響」を受けまくっています。


・ペリリュー島での日本軍と島民のエピソード

太平洋戦争の際、ペリリュー島には日本軍が進駐し陣地が作られました。
日本兵と島民はすぐに仲良くなり、日本の歌を一緒に唄ったりしたそうです。
しかし、やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になりました。
島民は話し合い、代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れました。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」
それを聞くなり隊長は激高し
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫び追い返しました。
島民は裏切られた想いで悔し涙を流しました。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ません。
島民は悄然と船に乗り込みました。
しかし、船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきました。
そして、一緒に歌った日本の歌を歌いながら手を振って彼らを見送ってくれました。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長の姿もありました。

ペリリュー島で、壮絶で長い戦闘が繰り広げられたにもかかわらず、ペリリュー島の民間人には、ただの1人の犠牲者もでませんでした。
日本軍 戦死者 10,695名 捕虜 202名 アメリカ軍 戦死者 1,794名 戦傷者 8,010名 ※この他に精神に異常をきたした者が数千名いた。 一般人民 陣地構築に徴用されていたが、日本軍が戦闘前に強制退避させたため死者・負傷者ともに0名とされる。
出典ペリリューの戦い - Wikipedia
これは、日本軍が「ペリリュー島民を戦火に巻き込んではならない」と指令をだしていたからです。

ペリリュー島の戦いが終って島に戻った住民は、多くの日本兵の遺体を見て泣きました。


・国旗は日の丸を模している

これは非公式の巷説ですが、月は日章旗の太陽と対をなし友好を示すもので、月が中心より若干左に寄っているのははためく時に中心に見えるように、併せて日本に対する畏敬の念の表れであるとしているそうです。

パラオの人々は、日本軍は私たちを命に代えて守ってくれたという感謝の気持ち、そして、強力な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さに敬意を抱いています。

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下記ソースです
ttp://matome.naver.jp/m/odai/2140776979681509501
ttp://curazy.com/archives/25829